お祭りのない文化で育ったぼくは
ぼくの実家はマンションのL棟にある。A、B、C、D、E、F、G、H、I,J、K、L棟まであるということだ。たしかM棟はあったような気がするが、N棟があるのかは知らない。なんならA棟がどこにあるのかも知らない。それがニュータウン育ちというものだ。
とはいえ、お祭りのようなものは存在する。夏休みのある日、マンションという塀に囲まれた小さな公園にテントが並ぶ。そこには唐揚げ棒やフランクフルトが並んでいるのだが、残念なことにセブンイレブンの袋に包まれている。そう、セブンイレブンで大量購入してきたものなのだ。神輿もなければ山車もない。何のための祭りかと聞かれたら住民たちの親睦を深めるためと答えるのだろう。
とくに近所付きあいもないぼくたちは引換券を持って公園に行き、ひどく冷めた唐揚げ棒と交換する。それだけの儀式を終えるとエレベーターに乗ってMy号室に戻り、レンジであたためはじめる。しばらくするとベランダの下のほうからビンゴゲームのアナウンスが聞こえるが興味もわかぬところにチン。「セブンイレブンの味だな」と当たり前のことを会話しながら核家族でかぶりつくのである。
ぼくにとってお祭りとは、そんなものである。でも、だからこそ子どもたちに残るお祭りの記憶がこんなものであってはならないと、強く思うのだ。
熱狂と陶酔。叫ぶように歌いながら狂ったように踊り続けるうちに、ふいに、自分の輪郭が溶けていくような神秘的な夜。あるいは、絆と連帯感。世代を越えたつながりと旧友たちとの再会を祝う宴の夜。そんなお祭りに憧れる。たとえばそれは、能登半島のお祭りのように──
2020年6月1日、和倉温泉お祭り会館がオープン
石川県能登半島。その中央部に位置する七尾市は、やたらと祭りの多いまちだ。一年を通し、いつもどこかで何らかの祭りが行われている。人々は祭りに熱狂する。一度は地元を離れた人でも、祭りの日には故郷へ戻ってくるという。どうしてそこまで、七尾の人々は祭りに熱意を注ぐのだろう?
祭りの当日には立ち合えなくても、このお祭り会館で祭りの様子を少しでも感じてほしい。そして、なぜこのまちの人々が、ここまで祭りを愛しているのか感じていただき、いつか本物の祭りを見に来て七尾市のファンになってほしい。
和倉温泉お祭り会館では、圧倒的なスケールを誇る「でか山」など、実物大の展示物を身近に見られるだけでなく、それぞれの祭りの特徴を体験できるコーナーがある。まずは体験の前に、音声ガイドと一緒に展示物をじっくりご覧いただきたい。
さらに詳しく祭りのことを知りたくなったら、音声ガイドに添えられた解説が助けになるはずだ。そして、体験をした後で、聞いていただきたいガイドも用意した。なぜこのまちの人々は、これほど祭りを愛しているのか? 実際に体を動かした後にガイドを聞けば、その答えが感じられるだろう。
ON THE TRIP. ぼくたちの旅はつづく。