旧那覇クロニクル
「ON THE TRIP ならでは」を突き詰めました
……なにもない。
ただ歩いただけでは、そう見えるかもしれません。ぼくもそうでした。しかし、那覇でいちばん興味深いのは、この風景ではないかと今は思っています。
沖縄での取材中、ぼくたちのバスは旧那覇エリアのとある一画に駐車させてもらっていました。3ヶ月はいたのではないかと思います。そのあいだ、旧那覇を何日ほっつき歩いたかわかりません。すると、はじめは見えなかったさまざまな風景が見えてきました。
たとえば、「浮島」としての地形。これはブラタモリでも紹介されていた話。貿易港としての那覇港は、長崎の出島のような浮島であった。埋め立てが進んだ現在も、その痕跡があちこちに残っていて、消えた島の輪郭が浮かび上がってくるのです。
ある人は本の中でこんなことを書いていました。
「旧那覇を走っているとわかる。自転車を漕ぐのが楽なフラットな道は埋め立て地。坂道があったりデコボコして漕ぐのがしんどいところは浮島だったところだ」と。
毎日、毎日、旧那覇を走りまわっているうちに、その言葉の意味がよくわかりました。そして、頭の中に浮島の地図ができあがっていきました。
さらにおもしろいのは、目には見えない歴史の足跡。なにせ、琉球王国450年という歴史は、江戸幕府よりも長い。ひとつの政権がこれだけ長く続いたというのは世界的にもめずらしいというが、そのぶんだけひとつの土地に文化が蓄積されているということだ。
琉球王国が存在していた450年間、王朝が一貫して首里にあったように、国際都市としての那覇は一貫して、この浮島にあった。ある意味では、東京よりも長い蓄積が、その足跡が、この地には溜まっている。
その足跡を時系列に整理して、町歩きを進めるにつれて、時代も先に進んでいくような、そんなガイドがつくれないか。那覇の450年を追体験するようなガイドを作ってみたいと思ったのです。
これが、めちゃくちゃ難しい。そんなに都合よく、次から次へと語るべきスポットがあるわけではない。もちろん時系列もめちゃくちゃだ。でも、自分自身が旧那覇で暮らしながら歩き続けること。このあたりに、あの時代を語るべきとっかかりとなる痕跡はないものかと探しまわること。そうして、バラバラのピースをつなぎあわせていくことで、このガイドが完成しました。
諸見里杉子さんのうちなーぐちで
今回のナレーションは沖縄ナレーションの第一人者である諸見里杉子さんにお願いすることができました。
数は多くはありませんが、原稿の中にこっそり潜ませていた「うちなーぐち(沖縄の方言)」はさすがでした。収録に立ち会いながら、ぼくも「おお〜!」と声を上げてしまうほどに。とくに「17|辻」を聞いてもらえれば、ひと声でわかると思います。
その収録は「株式会社エフエム那覇(タイフーンfm)」の平良斗星さんのスタジオで。杉子さんを紹介していただけたのも平良さんのおかげでした。
これから沖縄のガイドがどんどんリリースされていくと思います。それらのガイドは平良さんと杉子さん、おふたりの力があってこそ。続報もぜひご期待ください。
Androidの方はこちらから
ぼくにとってとくに思い入れが強い旧那覇のガイド。今回は、映像も制作しました。
撮影はabelest。音楽はkoji itoyama。旧那覇のガイドに込めた「におい」を動画でも見事に表現してくれました。冒頭の動画をまだ見ていなければ、ぜひイヤホンをつけて見てもらえると嬉しいです。
ON THE TRIP. ぼくたちの旅はつづく。