ナマハゲはどこから来たのか?
男鹿半島

READIO ON THE TRIP vol.40

『ナマハゲはどこから来たのか?』


そんなテーマを抱いて旅に出た。ナマハゲの由来にはさまざまな説があるが、実際にその説がさす舞台をめぐることで、自分なりの解釈や共通点、新しい説などが見えてくるのではないか。そう思ったのだ。

取材をしたのは夏。最初に驚いたのは、男鹿半島はかつて「男鹿島」であったということ。やがて二つの川からもたらされる土砂によって砂州が伸びていき、大陸とつながることになるのだが、それでも。昭和に大規模な埋立をおこなうまで「八郎潟」という琵琶湖に次ぐ大きな湖が、男鹿半島と大陸とのあいだにドカンと横たわっていた。

いかに大陸と隔絶された孤島であったことか。ナマハゲはそんな男鹿半島で人知れず育まれていった異質の文化なのだ。

男鹿半島の旅は「なまはげ館」からはじまる。


男鹿半島を旅するなら、まずは「なまはげ館」。併設された「真山伝承館」では、実際のナマハゲをいつでも体験することができる。これが決してオママゴトのような体験ではなく、かなり本格的。『ウォー!』という雄叫びが古い家屋に反響する感覚をはじめ、知っているようで知らないナマハゲ行事の一部始終を肌で感じさせてくれる。そして、この旅、このガイドも、そこからはじまる。


「柴灯まつり」の舞台である真山神社から、「漢の武帝説」の舞台である五社堂、「漂流異邦人説」の舞台であるゴジラ岩など、詳しくは本編でと思うのだが、そうして男鹿半島を一周しているうちに、男鹿半島という環境の過酷さが見えてくる。そうした旅の行間にも注目してほしい。

たとえば、撮影のために再訪した冬のこと。ナマハゲ行事がおこなわれるのも冬であるが、「男鹿水族館GAO」の岸辺には「これぞ日本海の荒波!」と言える風波が轟音で打ちつけていたし、「入道崎」では歩いていられないほどの強風が吹きすさんでいて、ぼくは文字通り面食らった。


そして、夜。男鹿温泉郷の宿でひとり、廊下を歩いていると。どこからともなく『ウォー!』という雄叫びが聞こえてきた。「ナマハゲの声だ!でも、大晦日じゃないのにどうして?」そう思いながら音の出どころを探ってみると。なんと、そこは廊下の行き止まり。つまり、すきま風。強烈な風の音が建物の中の廊下にまで鳴り響いていたのであった。

ナマハゲは山の神様の使いといわれるが、もしかすると、人をさらってしまいそうなこの風の音から来たのかもしれない。日本海の荒波を巻き起こすのも強烈な北西の季節風であるが、不運にも波にのまれてしまった子供や漁師たちを偲んだり、そんな事態を防止するためにナマハゲのような厳しい訓戒を必要としたと考えることもできるかもしれない。そんな想像がふくらんでいく。

ナマハゲの記憶


しかし、ナマハゲを歴史的な観点から見ただけでは、まだ半分だ。地元の方々にお話をうかがう中で、ナマハゲは今も生活に根付いた生ける通過儀礼であることひしひしと感じた。その観点からナマハゲを見てみるともう一枚の想像の翼がばさりと音を立てて開いていく。

そこで、ガイドの冒頭には「ナマハゲの記憶」と題した音源を収録した。取材の途中でさまざまな年代の地元の方々にナマハゲの思い出を聞かせてもらい、それを小学生から中高生、青年、中年、老年と、年代別に並べていくことで、ナマハゲの見方が変わっていくその変遷を、人生の通過儀礼としてのナマハゲの真なる側面を感じてもらえるのではないかと思ったのだ。


恐怖の対象であった小学生時代から、ナマハゲの正体に気づいて理解を深めていく青年時代、そして……。性別、立場、関係性。地区によって、語る人によって、さまざまな姿を映し出すナマハゲ。

とりわけ印象的だったのは地域おこし協力隊の男性のお話。中でも、あえて音源から割愛した部分をご紹介すると、「県外から来た自分が実際にナマハゲになって人を叱りつけていると、ふと標準語が出てしまうんです」という証言。ナマハゲは「男鹿の方言」を守る役割も担っているのかもしれない。

このガイドは全編無料なので、男鹿を旅する予定がない方も、この「音源|ナマハゲの記憶」だけでも聞いてみてほしいと願っている。

ナマハゲはどこへ行くのか?


この旅を終えたとき、あなたはどんな思いを持ち帰ることになるのだろう。

朝4時。始発で東京に帰るカメラマンを最寄りの駅まで送るために車のハンドルを握った。最寄りといっても男鹿温泉郷からであれば男鹿半島の付け根にある羽立駅まで、それなりの距離を移動しなくてはならない。それゆえの早朝4時。

外はまだ真っ暗。それも、信じられないほどの豪雨であった。おそるおそる走り出してみたものの、雨量が多すぎてまったく前が見えない。ワイパーは無力なほど追いついていないし、タイヤが撒き散らす雨水も車高を遥かに超えていた。「これほどの豪雨ははじめてだ」とカメラマンと目を見はりながらも進んでいく。朝が早すぎて、すれ違う車がないことが救いであった。

そうして「ようやく市街に脱出した」というその瞬間。豪雨がぴたりと止んだのだ。

再びカメラマンと目を見はった。これもまた男鹿半島がいかに過酷な環境にあるかと突きつけられた夏の朝。そして、再びぼくは豪雨に突入するようにして男鹿温泉郷に帰っていったことは言うまでもない。ぼくにとって、このときの体験がやはり忘れられない。そして、思うのだ。ナマハゲはどこへ行くのか、と。


昔はこのように気軽に行き来ができる場所ではなかった。地形的にも精神的にも生活的にも。ナマハゲはそんな男鹿半島の人たちの結束を強めるためにも必要とされていた。果たして、今は?

「ナマハゲの記憶」を聞くだけでも、さまざまな「変化」と「普遍」。あるいは「新たな息吹」が感じられるはずだ。『ナマハゲはどこから来たのか?』そして、『ナマハゲはどこへ行くのか?』旅の終わりに、あなたもぜひ考えてみてほしい。


ON THE TRIP. ぼくたちの旅はつづく。

文:志賀章人

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