応用神経科学者と和尚が話す「悩みや不安を減らす生き方」とは?

【青砥氏 参画記念】東凌和尚との特別対談

応用神経科学者の青砥瑞人さんがInTripにブレーンとして参加してくれることになった。
これまで仏教の知恵から紐解いていた心の世界を、神経科学の論理で答え合わせしていくこと、さらに両分野の知見が掛け合わされることで起こる、未知なる化学反応が楽しみだ。


4月某日京都。青砥さんは建仁寺・両足院の朝の坐禅会に参加。InTrip 代表取締役僧侶であり両足院副住職の伊藤東凌と語らった。
二人が、目を輝かせて互いの話にのめり込む様は、まるで探究者、いや、旅する青年のようだった。禅と脳、それぞれの道を歩いてきた旅人が、越境を繰り返し、ある国のある村の食堂でばったり出会ったーーそんな感じがするのだった。

二人の探究者が
今・ここで出会った

ーー青砥さんはそもそも、どのように神経科学に出会い、今に至るのですか

青砥
きっかけは、呼吸だったんです。高校を中退してふらふらしていた時、「僕って一番何をやりたいんだろう」と生まれて初めて真剣に向き合い、思い出したことがありました。

それは少年野球の監督に叩き込まれた丹田(おへその少し下のところで、気力が集まるとされる所)を鍛える呼吸で、その後高校まで野球を続ける中で、自分の発揮できる力に影響を与えると感じていました。その「呼吸とパフォーマンスの関係って何なのか?」って問いが、人生を迷っていた当時の僕の中で大きくなったんです。本屋でいろいろ調べ、メンタルトレーニング、神経科学、研究が進んでいるのがアメリカ、UCLAという大学、と行きついて、猛烈な勉強の末に入学しました。

医学を学び、理論を学び、脳の世界にのめり込んで行ったとき、人の感覚や成長、幸せといったウェルビーイングの領域に神経科学をうまく活用できないか考えるようになって。それが、教育や人材育成の分野で起業することにつながりました。

ーーそういえば伺ったことがなかったですが、東凌さんはどのように僧侶の道に入ったのですか?

東凌
私は父が住職でしたから、小学生の頃から「いつかお坊さんになるための道場に3年行かなきゃいけない」ということは分かっていました。でも周りを見渡しても、お坊さんだけで生活を成り立たせている人は多くない。自分も副業をしながら寺を継いでいくんだろうなと漠然と考えながら、大学卒業後に道場に入り3年で出てきました。

ところが、修行を終えた25歳くらいから塾の講師として働き、運営にも携わるようになったとき、徐々にお寺に目覚めていったんです。塾のメソッドを使って坐禅体験などのプログラムをお寺で始めたりする中で、お寺って自分がずっとやりたかった教育の本質を伝えていける場所だと感じて、ここで初めてお坊さんとして生きていけるかもと思ったんですね。どっちが回り道か分かりませんが、教育で禅と結びついた感じですね。

ーー学び・教育というテーマでお二人がクロスしましたね。お二人のブレークスルーポイントって何だったのですか?脳のプロ、禅のプロになってから、これだ!という真理のようなものを掴んだ瞬間というのは。

青砥
神経科学をゴリゴリの理論で学んでいく中で、あるとき、1つの学術だけを追うことは1つのベクトルでしか捉えていない狭い世界で、人間というものをちゃんと説明できていないと気づいたときです。非論理的世界、まだ言語化されていない世界に、本当の可能性があると。

それからは果てしなく越境し続けている感じです。教育、アート、そして禅。越境し始めたら、学ぶほど「知らない・知りたい」が増えていくんです。未知が爆発していく感じ。最高に面白くて。

人間を理解したいと思ったとき、きっと真理・ゴールなんてなくて、生涯たどり着かないかもしれない。でも一歩でも前に進んでいけば、いつか近づけるかもしれない。そんなふうに思ってワクワクしています。

東凌
僕は、修行が終わってすぐ、ある禅のお坊さんの本に出会ったときですかね。「禅ってのは何もないんだよ」と書いてありました。禅は、車でいうシャーシ、土台の部分で、そこができたら何でも乗っけられるんだよ、それが禅だよと。その一節で衝撃的に救われました。

正直、3年間修行したけどめちゃくちゃ仏教に詳しくなったわけじゃないし、30分法話してって言われたらやばいぞくらいの感じでしたが、修行生活のリズムの中でつかんだ体と心のつながりとか、心の弱さや怒り、恐怖との向き合い方は自分の中にしっかりとあった。それがそのお坊さんの言う、土台の部分だと思いました。

それで、僕はその上に何を乗せるのか考え、学び始めたのはテーラワーダ仏教の瞑想法。ヴィパッサナ瞑想を含む細かな身体観察のメソッドが詰まっているものです。今朝の坐禅会でやった歩行禅にもつながっているし、InTripの多くのコンテンツにも生かされています。

それからヨガ、アートも禅の世界に取り入れました。これからはいろんなものがMIXされて融合的に語られていく時代になるだろうと思っていましたから。

ーーお二人とも、まさに越境する探究者ですね。バックパッカーで世界を回ってる青年が辺境の国で出会ったみたいです。お互いにきっと知りたいことだらけでしょうね。

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脳の回路を操れば、
不安はワクワクに変えられる

東凌
青砥さんに聞きたいことがあります。近代に入り科学が進歩し、人類は恐怖や不安をあたかも克服しきったような語り口だったのに、それが震災やコロナ、何かが顕在化したとたんに人のあり方が転覆しそうな程に揺らいでしまう。僕は常々、恐怖や不安は「乗り越えるのではなくいつもそばに置いておく」くらいの感覚がいいんじゃないかと考えていて。このテーマ、どう考えますか。

青砥
面白いですね!UCLAの病院で学んでいたとき、脳の不安や恐怖を司る部分に欠損ができてしまった人が、どういう行動を取るのかという研究がありました。ある男性は、町を歩いていて気になる女性がいたら突然襲ってしまった。不安や恐怖がないと欲求のままに行動してしまうことが分かりました。

恐怖、不安は無い方がいいイメージがあるけれど、人との繋がりをつくっていくために大事な機能です。太古の世界であれば、リスクジャッジできないことは死に直結していた。つまり我々を守ってくれている機能でもあります。それなのに我々を苦しめていると感じてしまうのは、「ネガティビティバイアス」といって害の部分にばかり注意が向いてしまう、これも脳の性質なんです。

東凌
興味深いです。さらに聞きたいことが生まれてしまいました。恐怖や不安は、先を予測して生存確立を上げる、つまり時間でいうと「未来」と結びついていると思います。一方で、禅では、「今」が大事で、未来の不安などは切り捨てようって文脈も多い。僕は、この部分をどう説明しようか迷うことがあります。脳の観点からみて、未来を考えるとはどういうことでしょうか。

青砥
いやー面白い!時を捉えるって大事な観点ですね。神経科学的な理解だと、恐怖と不安を分けて考えます。恐怖は現在の現象に対して反応しているのに対し、不安は未来への推測が入りやすい。つまり経験があるから起こることです。

脳は、経験を学習するために物理的な構造的変化をさせていきます。それが、未来を考えたときにワクワクするというポジティブな反応や、イライラ・不安というネガティブな情動反応を引き出します。

人間の脳って体全体の2%の質量しかないのに、エネルギーは25%も使うんですよ。だから使わないエネルギーはどんどん無くして省エネしていきたい。神経科学では「Use it or Lose It」といって、使われた神経細胞は構造変化して強く記憶していくけど、使わないと消えていくようにできています。だから、自分にとって嫌な記憶はどんどん手放して、その代わりに、理想のことや良かった記憶で脳の回路をたくさん使っていれば、不安よりワクワクが増えていくというわけです。

東凌
やはり!悩みすぎている人は、ネガティブなことをわざわざ考えて、自分から悩んでいる部分があるなと常々思っていました。脳的にも、嫌なことを思えば思うほど自分の中に強く書き込んでしまうということですね。

青砥
ここに、3つの脳のネットワークが関係しています。セントラルエグゼクティブ・ネットワーク、反対側にあるデフォルトモード・ネットワーク、その中間にあるサリエンス・ネットワークです。

それぞれを説明しますね。セントラルエグゼクティブ・ネットワークは、自分で意識して考える、主体的な回路です。デフォルトモード・ネットワークは、あまり考えずに勝手に働くもの。自分が繰り返してきたことや慣れていることはその神経回路が強くなっているためです。例えば、いつも行くカフェでは勝手にいつもの席に座ってしまいますよね。でも初めてのときは、クーラーの当たり方とか光の入り方でどこがいいか悩む。その違いです。

一方サリエンス・ネットワークは、2つの橋渡し的な役割。気付きの回路でもあります。「あ、いつもの席に勝手に座ってしまった」とか、「今私はこんなふうに思っているんだ」と客観的に気づくとき、サリエンスを使っています。

ポイントとしては、サリエンスを上手に機能させて、この3つのネットワークを乗りこなしていけるようになると、感情や思考に振り回されず、自分の物にできてきます。サリエンスを使うには、感覚と感情を含めた内面観察、つまり自分の内側の見ていくことが大事です。

自分の心を
乗りこなすことは可能

東凌
サリエンス・ネットワークを使って、自分の感情や身体感覚を客観的に眺める。これぞまさに、禅が行っていることだと思います。ああ、科学的裏付けをいただいた感じで嬉しいですね。

もう1ついいですか。悩みがちな人って、自分の中に「何かがない・欠けている」状態で考えていることが多いと思うんです。反対に「愛情って絶対ここにある」っていう確信のようなものを、脳のデフォルトモードに入れ込んだ状態にするためのメソッドってあるんでしょうか。仏教だとそれが「慈悲の瞑想」に当たるんですが。

青砥
子どもの頃の脳の学習が大きく影響していますよね。まず、大人と子どもでは脳の状態が全然違うんですね。例えば前頭前皮質でいうと、2歳くらいで脳の中の結び目であるシナプスは最大値を迎えます。そこから10歳すぎくらいまでは成人の何倍か多い状態。

子どもってよく吸収するというけど、それは多く持ったシナプスを強くしていくだけでいい学習だからです。ちなみに大人は失ってしまったシナプスを伸ばしていくエネルギーと、シナプスを作って強くしていくエネルギー、二重のエネルギーがかかるから大変だし疲れます。

子どもは良い学びの環境が与えられれば、どんどん吸収しますが、逆に虐待を受けるなど辛い環境に育てばそれをもろに受けてしまって、ストレスに過敏になってしまう可能性が高い。さらにそれが行きすぎると、抵抗しても仕方ないと学習して、何もしない無気力状態でエネルギーを保存するようになってしまう。だから、幼い頃に愛の価値を知って、それが心地いい、相手にも伝わってると学習していれば、他者にもそう接するようになり、愛情は循環していきます。

東凌
愛、一番大きなテーマですね。あらゆる不幸感や自己肯定感の低さに関係しています。愛情をもらうことに関して、自分か何かした・しないに関わらず、自分はふさわしいんだと子どもの頃から学んでいてほしいですね。好成績だったから、賞をとったから愛されるのではなく、自分がいかなる状態でもそのまま丸ごと愛される存在だと知っている境地です。

これは、すなわち「知足」。足るを知るという仏教の大事な教えです。小欲知足という四字熟語にもなっているので、意味合いが本来の仏教の文脈からずれて伝わってしまっていて、欲を我慢して慎ましく生きるべきと捉えている人も多いですが、もともとは、自分がミッシングピースと思っている愛や幸せは、もうすでに持っているよということ。これが子どものときからストンと入っていればいいなと思います。

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感謝は「する側」に
幸せが増えること

青砥
本当ですね。愛とは何かと聞かれると、難しいけど、1つはオキシトシンというホルモンがその役割を担っている。ハグをすると出ると言われているやつです。そして一番出るのはお母さんです。

僕の妻や世のお母さんたちを見ていても、子育てってすごく大変。これを献身的にやり続けられるのもオキシトシンの効果です。オキシトシンの本質は、ストレスを和らげる、つまり自分のため。相手に愛情を与えているようでそれだけではない。愛は自分の中で作られて、力が湧いたり心地良くなったり、自分が整っていく。それが相手のオキシトシンを出すことにもつながっているんです。

でも、それ以外の普段の生活って、脳の予測機能が働いて「こんなにやってるからここまで返して」というトレードオフの学習になってしまう。返ってこないと「なんでよ」となる。これを「見返りバイアス」と呼びます。

本質に返ったら、愛は自分を潤すもので、たまたま相手も潤していることです。だから、してあげるんじゃなくて「させて頂いている」「やらせてくれてありがとう」という気持ちを、いかに脳に学習させるか。良い行いが続けられる人は、自分がやりたくてやっていて、やることで自分が豊かになっているんですね。

東凌
まさに仏教ですよね。「見返りバイアス」の打ち破り方みたいな知恵を、どんどん見出していきたいなと思います。

仏教には、2500年前から続くお布施や喜捨という行いがあります。喜捨は喜んで捨てると書く。僕も修行時代に托鉢(たくはつ:鉢を持って街角に立ち、経文を唱えて食物や金銭の施しを受けて回ること)をやりましたが、ルールはお布施をいただいても「ありがとう」と言わないことでした。言ってしまうことで、お布施した人本人が気持ちいいと思う原点を奪う可能性があるからです。お金を入れた人が「今日もとってくださってありがとうございます」と喜びを感じることを大事にしていました。

青砥
なるほど!面白い!「ありがとう」と言うタイミングって、ポジティブな感情が芽生えたときですよね。自分が嬉しいときに必ずやる行いって、他にはそう無いじゃないですか。これは脳の中に条件づけられるんです。

脳の世界に「Neurons that fire together wire together」という言葉があります。神経細胞を同時に発火させるとその神経細胞たちがワイヤーのようにつながりますよという意味。心理学でいうパブロフの原理(犬に餌を上げるときにベルを鳴らす、ということを繰り返すと、ベルと鳴らすだけでよだれを垂らすようになる)に近いです。

同時発火した体験は結びつく。つまり自分の快体験と、心からの「ありがとう」の言葉が、脳にワイヤリングされていく。すると「ありがとう」が自動的に豊かさやハッピーを作る装置になるんです。托鉢で相手に感謝させてあげる機会を奪わないって、これ、ものすごい真理だなあ。

昔の人は仏壇や神棚に手を合わせていましたよね。僕も感謝の祈りの時間をつくっています。感謝をする自分自身の心が豊かになって、1日のいい始まりやいい終わりになっていくんです。ありがとうや笑顔の価値を知ったうえで、日々実践できていれば、何か特別なことがなくても満たされた状態をつくっていけると思っています。

InTripの可能性が
広がっていく予感

ーーこのたびInTripに加わってくださった青砥さん。InTripの魅力や意義をどう感じていますか。

青砥
InTripは、禅が長い歴史年月培ってきた、自分の内なる可能性との対話、つまり根本的に幸せな方向に豊かに導いてくれる何かがある。アプリという技術を使うことで、時間と場所に囚われず禅の世界にアクセスできる、より多くの人に届けられる、大きなポテンシャルを秘めていると感じています。

世の中には、科学的じゃないことを否定する人もいますが、それはもったいない。なぜなら僕は科学を突き詰めれば突き詰めるほど、人間の内なる領域の部分が大事だと思うようになったからです。しかしこれまで禅と出会う機会を逸してきた人が、僕が科学的裏付けも紹介することでより馴染みをもって聞けるようになる、そんなお手伝いができるのであればとても嬉しいです。

ーー東凌さんは、青砥さんというブレーンを迎えて、いかがですか。

東凌
これまで自分の中でぼやっとしていた考えが「ああ、脳から見てもそうだったか」と確信に変わることが多くて、勇気をもらえています。

もともと、表現はさまざまな角度からしたいと思ってきましたが、私の持つ言葉には限りがあった。二人で喋る中で思いもよらない言葉が見つかることも多く、結果人に伝わる深さも大きさも変わっていくだろうなと思っています。さっき話した愛のテーマのように、越境しあう私たちが、新しく一緒に探求して行けることも多そうですよね。とてもワクワクしています。

青砥
海や風、鳥や花、水の流れ…東凌さんのお話を聞くと、脳裏に本当にきれいな情景が浮かんできます。イメージングのプロであり詩人だなと思います。「喜捨」だったり「知足」だったり、僕が今まで知らなかった言葉も学べて嬉しいし。自分の仕事のとき使わせてもらおうと思ってます。(笑)

ーーありがとうございました。
「それもっと知りたい!面白い!」と、完全に少年の表情をしていたお二人が、最後の質問で急に大人の顔になったのが面白かったです。お二人のコラボレーション、それにより生まれる価値。InTripのこれからが、とても楽しみです。

(聞き手・文:本間美和)

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