「筑摩江や 芦間に灯す かがり火とともに消えゆく 我が身なりけり」
1万5000人の敵に対して、味方はたった1800人。
仲間の裏切りに合い、命が消えようとする時、石田三成は何を想ったのだろうか。
忠義の人、石田三成。その生真面目な性格から秀吉に重宝され、多くの戦いで兵站奉行や検地奉行などを歴任。主君である豊臣秀吉を敬い続け、その死後も豊臣家の存続に命をかけた。自らの死を前にしても、その忠義心が揺らぐことは決してなかった。
その忠義は、意味をなさなかったのだろうか。
その答えが、三成の父の菩提寺として建てられた、壽聖院にある。
壽聖院
石田三成一族の菩提寺
山の辺の道
石上神宮から内山永久寺跡へ
祈りの風景をたどる
東京ベイ散歩
なぜ東京都“港区”なのか?
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竹原まち歩き
塩と生きた町、竹原の物語。
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