人々は熱狂した。
なんだって、「なむあみだぶつ」と唱えるだけで救われるのだから...。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。あるいは「ナンマンダブ」。
よくお寺にいくと目にし、耳にする言葉だが、あなたはこの意味を知っているだろうか。
「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀如来(あみだにょらい)にすべてをゆだねます」という意味で、浄土宗では念仏を唱えれば、誰でも極楽浄土に向かうことができると説いている。
このシンプルでわかりやすい教えのたまものだろうか、浄土宗はゆかりの深い浄土真宗と合わせて、日本で最大級の信徒を抱える宗派だ。国内でも有数の大きな門を構える知恩院は、鎌倉時代に生まれた浄土宗の総本山。つまり、南無阿弥陀仏という教えを伝える宗派のトップということになる。
鎌倉時代に日本に爆発的に広まった浄土宗だが、その宗祖は岡山生まれの僧侶、法然上人(しょうにん)だった。この法然上人こそ、当時の宗教観をラディカルに変革した人である。彼が伝えた「ただ念仏を唱えればよい」というシンプルな教えは、当時の人々にとって新鮮であり心踊らせるものだったのだ。
どこかで一度は聞いたことがある「南無阿弥陀仏」はどのように生まれたのだろうか? そのルーツを探るために法然上人の生涯を紐解いてみると、現代に生きる僕たちにつながるテーマが浮かび上がってきた。そのテーマとは「許すこと」。
実は、法然上人は幼少期に父親を殺されている。しかし、父から「お前は恨むな、仏門に入り多くの人を救え」と伝えられ、結果多くの人の心を救ったのだ。法然上人はなぜ父を殺した人を恨むことなく、人を救うことができたのだろうか? その理由を知恩院を巡りながら説明していこうと思う。
知恩院
「憎むな、許せ」 法然上人(しょうにん)の生涯を決めた、父の言葉
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